蝶に関する記録と寸感 



    
     かたばみに寄す
                根岸 弘

  春の野の片隅に おまへが
  ちひさな黄の花をつけると
  青いしじみ蝶がやつてくる
  もう待ちかねた恋びとのやうに
                        

  ああ かうして春はいつも優しい
  草に寝て ひとりまどろむ私にも 

 


……先づ少女達の胸の間に置かれ、さうして恐らくはそのために睡らなければなら
ないミモザ、次には
かたばみ、その葉には三つづゝ心臓型がついてゐる……さうし
てこの心臓型は、黄昏になると、寒くならないやうに、お互ひに近寄るのである。
これらの草は一体どんな夢を見るのだらう? ヴァン・ティーゲムといふ叔父様の
話によく出る大植物学者は、これらの植物は若しかすると月からやつて来たのだ、
いろいろな彗星によつて地球に持つて来られたのだ、と信じてゐると叔父様は話し
た。それでは、これらの草はきつと、姉妹達の夢を見るのだらう、あちらの、夜見
えるあの月の世界の、「不安」の海か「悲嘆」の入江に残つてゐる姉妹達のことを
……月の少女達はどんなだらうか?…… 
 
               
         フランシス・ジャム著/市原豊太訳『三人の乙女』/人文書院 1977

平成22年(2010)春を期して、蝶の観察・採集の記録を再開することにした。地球温暖化にともなう世界各地の異常気象は周知の通りである。少年時代から継続している日本各地の蝶の観察と採集の体験からしても、現在、地球の自然環境で何が起こっているか、身近に理解できる。   

蝶の観察・採集の記録には、手許にある愛用の保育社刊行の蝶類図鑑(初版および全改訂新版)から分布と生態に関する事項を摘出し、併記してみた(図版枠内 上段・横山著/下段・川副・若林共著)。この小さな試みからも何らかの異変が確認できると考える。    

蝶は、種の多様性から「虫の星」と呼ばれる地球の中でも最も進化、繁栄している昆虫の一種だ。その分布と生態から学ぶものは多いはずである。
 

参考文献


※横山光男著『原色日本蝶類図鑑』/保育社/1954
※川副昭人・若林守男共著『原色日本蝶類図鑑』全改訂新版
                /保育社/1976

※ファーブル著・山田吉彦訳『ファーブル昆虫記』
                   /岩波書店/1942
※シュナック著・岡田朝雄訳『蝶の生活』/岩波書店/1993
※志賀卯助著『日本一の昆虫屋』/文藝春秋/2004
※石井象二郎著『昆虫学への招待』/岩波書店/1970
※川村俊一著『昆虫採集の魅力』/光文社/2002

※日高敏隆著『チョウはなぜ飛ぶか』/岩波書店/1975   
    
 ※以下の各参考文献の引用文中、モンシロチョウ
  ように表記した箇所は、その後、本章で言及ある
  いは関連項目として提起することを示している。




 



 

 大自然の芸術的な作品として蝶はその代表的なものの一つと観てあえて
誇張とは思われない。昆虫への関心はひたすら少年の日の思い出のそれの
様に、この道のファミリアーへの天与の夢であり、心の憩いでもある。 
 過ぐる日の戦争は心と物の貧困と窮乏のさ中へ、彩りも潤いも自然への
憧れさえも忘れさせて行った。今では花に彩られる公園さえ、芋や南瓜の
葉に覆われて空腹の表情の象徴と化し、歌を忘れた少年達は冷めたい学園
の窓に永い冬の生活を繰り返した……。               
 いつか敗戦の焼跡には街路樹が芽ぶき、草原の街にも泪ぐむ瞳の様な灯
が光った。生活の営みであり裏付けでもあった蔬菜園は、いつか家庭団欒
の趣味の場となり、寸土を惜しんだ庭の一隅は草花に飾られて、とある日
の午後一頭の
モンシロチョウさえ訪れた。その日のまざまざしい記憶はま
だ昔の夢ではない。昆虫への趣味と学究的な関心は、必ずしも採集家であ
り、蒐集家であるべき約束はなく、広く豊かな知性と識見をもって自然を
観賞し、自然に親しむことこそ、よりよき人生の営みでなくてはならない。
 この地上の天国に、花の楽園を訪れる色彩様々な季節の舞姫は、お伽の
国の幻想であり、絢爛たる空飛ぶ花にも紛う風情がある。何れの国にもこ
の可憐な生き物を慕う蝶の愛好家は数多く、その研究は専門家とアマチュ
アとを問わず、極めて盛んである。併し自然の神秘は限りなく奥深く、私
どもの未知の世界は無限である。(以下略)

       1954年初夏の風にアカシアの花散る5月    横山光夫




 

                       

  本書の前身は1954年6月、故横山光夫氏の手によって作られたもので
ある。保育社が図鑑出版界において、今日のような世界でも有数な地歩
を築くに至った第一歩であり、記念すべき第1号原色図鑑であった。第
二次世界大戦後の混乱期に出版された唯一の原色図鑑であったというだ
けでなく、何よりも当時としては信じ難いほどの見事なカラー印刷と、
横山氏の詩情あふれる解説文とによって、同好者間に爆発的な人気を博
し、文字通り洛陽の紙価を高からしめたものであった。

 1957年10月横山氏が病没されたあと、1965年に若林によって同書の一
部が改訂・増補されたものの、戦後の蝶の分類や生態の研究は急速な進
歩を遂げ、国内分布の詳細も次々と知られるようになって、さしもの名
図鑑も内容的な面で、また使用上の不便矛盾も、次第に目だつようにな
っていた。

 小笠原・沖縄両諸島の日本返還は、従来の図鑑の手直しくらいではど
うにもならぬほどの種類の増大をもたらした。折も折、保育社からも時
宜を得た要望があり、横山氏のご遺族のご快諾も得られて、われわれ二
人の手で新版作成の運びとなった。しかし、この間に類似の図鑑が次々
と出版されており、その状況はまったく目まぐるしいといってよい程で
あった。われわれはいまさら屋上屋を重ねるの無意味を考え、日本の蝶
の全既知種をもらさずとり上げることはもちろん、おもに形態と分布と
から、今まで類書で試みられたことのない、世界的視野からの日本の蝶
の位置づけを少しでも明らかにしたいものと考えた。(以下略)

             1975年 12月   川副昭人・若林守男




 



 私はとうとうこの「昆虫記」の決定版を出す決心をすることになった。
 老齢に弱り、精力はなくなり、視力はおとろえ、動くこともほとんど出
来ず、私は一切の研究の手段をうばわれてしまったので、たとえ命がのび
たとしても、将来本書に何か付け加えられるとは思えない。
 本書の第一巻は一八七九年に、最後の第十巻は一九一〇年に発行された。
最近発表した二つの独立研究「つちぼたる」と「キャベツの青虫」はよう
やく手をつけかけた第十一巻の最初のいしずえとなるはずのものであった。
 私が開拓者の一人として途を拓いたこれらの重要な問題に関して、四十
年近くの長い年月の間に、数多くの研究が積み重ねられた。しかし、本能
に関する私の観察の堅実性を、少くともその根本的な結論において揺がす
ような事実は、私の知る限りでは一つもない。
 特に、知性を持ち出して昆虫の行う多くの行為を説明出来ると信じた進
化論は、その主張を少しも証明したとは思えない。本能の領域は我々のあ
らゆる学説が見逃している法則によって支配されているのだ。
 従って、私が常に主張し、援護してきた考えを、私は不動の信念をもっ
て支持している。(以下略)
 

J.H.Fabre
SOUVENIRS ENTOMOLOGIQUES 1910 




 


ささげる言葉

 人間は土地を耕した。蝶はあらゆる原野に分布を広げた。ときおり、
努力の人アダムが雑草を抜いていると、
ヒメアカタテハ、あるいはクジ
ャクチョウ
が、輝く眼と太陽のような眼紋で合図をしながらアダムのそ
ばを飛び過ぎた。立ち上がったアダムは、その蝶をあこがれのまなざし
で見送った。

 こうして蝶は野山に分布を広げた。復活祭の頃に現れるタイスアゲハ
や、一片の光のようなヤマキチョウや、憂いにみちたキべりタテハ、そ
してクジャクチョウや、オオアカタテハ、気高いアゲハ類、裳裾をひく
シタバガ、ベニスズメ、きらびやかな優雅なものの中に混じった田舎風
モンシロチョウ、そしてトラフタイマイ、キアゲハ、僧侶のようなド
クロメンガタスズメ、灰色のノンネマイマイ、上品なキョウチクトウス
ズメ、魅力的な蝶の令嬢
クモマツマキチョウ、ヨーロッパからアジア、
オーストラリアまで分布するすべての蝶、まるでお伽の国の蝶のような
アマゾン河のほとりのモルフォチョウ、そしてまだ名を知らず、まだ探
究されておらず、まだこれから秘密の国から姿を現すであろう蝶たちが
……。
 これらすべての蝶のためにこの本は書かれた。すでに言ったように、
そのすべてがこの本に出てくるわけではないけれど。この本は、蝶が私
たちのまわりを飛びまわってくれたこと、今なお飛びまわって幸せと喜
びを与えてくれることに対して、私が蝶に報いることのできるほんとう
にささやかな感謝のしるしである。そして私は、残念ながら私がしばし
ば蝶から奪った生命のうちのいくらかを彼らに再び返すことに成功でき
ればと願っている。
 私が探究したのは、あれこれの蝶がどんな姿をしているか、どんなこ
とをしているか、何を食べて生きているか、ということだけではない。
私はとりわけ、私の心の中で蝶はどんな姿をしているか、私の心の中で
蝶は何を食べて生きているかを探究したのだ。蝶がときどき、どんな博
物学の教科書にも書かれていない姿を私に見せてくれるけれど、それは
少しも不思議なことではない。ともかく、この本の中のすべての博物学
的な記述は、学問的にも信頼できるものであることを敢えて申し上げて
おきたい。この本の中で学問的に信頼できないものがあるとしたら、そ
れはおそらくどんな学問も実証することのできない主観的見解に関する
ものであろう。(以下略)

 
Friedrich Schnack
DAS LEBEN DER SCHMETTERLINGE 1928




 
 


               はじめに 

 捕虫網を持ってチョウを目の前にすると、私はすっかり九十三歳という年
齢を忘れてしまいます。どきどきしながらチョウに向かい、そっと網を振り
かざす。すると、いつだって、十代のときに初めてチョウを追いかけてとっ
たときと同じ気持ちになるのです。
 思えば私と昆虫とのかかわりは七十六年になりました。
 大正のなかごろ、十七歳で昆虫標本店に奉公に入った私は、昆虫に魅せら
れ、やがて昭和六年に独立して東京・青山に志賀昆虫普及社を興して今日ま
でやってまいりました。気がつくと、日本一長くつづけている昆虫屋になっ
ていました。
 華族などごく一部の人しか”昆虫狩り”をしなかった大正・昭和の始めか
ら、軍医学校などで研究に昆虫が使われた戦時中、だれもが昆虫採集をする
ようになった昭和三十年代から四十年代の昆虫ブームと、私はずっと昆虫と
かかわりながら時代の移り変わりを見つづけてきました。
 私の歩んできた九十三年の人生は、楽なことなどひとつもありませんでし
た。でも、つらくても大変でも、好きな昆虫が身近にいたからこそ、私は昆
虫屋をつづけられたのです。昆虫を採り、標本作りをし、昆虫採集・標本用
具を開発してきました。昆虫は私にとって、何よりも先生でした。昆虫に励
まされて、明治生まれの私は、大正・平和・平成という時代を過ごしてきた
のです。
 うまくお話しできるか自信はありませんが、これから昆虫とともに生きた
私の人生をお話ししていこうと思います。この本を読んで、いまは昆虫採集
から離れてしまった大人の方も、まだ昆虫の楽しさを味わったことのないお
子さんたちも、捕虫網を持って野外に出かけていただければ、こんなにうれ
しいことはありません。

             文庫版によせて

『日本一の昆虫屋』が出てから八年。当時九十三歳だった私は、今年百一歳
になりました。
 その間、いろいろとうれしいことがありました。
 平成九年、長年昆虫採集・昆虫標本の普及につとめた功績が認められ、故
郷である
新潟県松之山町の名誉町民になるという栄光にあずかりました。
(以下略)

平成16年(2004) 志賀卯助
 



 
 


             はじめに

 私は子供の時から生き物が好きだった。犬、猫、小鳥、金魚、亀、夜店の
やどかりからおたまじゃくしまで飼った。この性質は母から受け継いだらし
い。私の母は草木を大切にし、動物を可愛がった。戦争の激しい時期を除い
て、私の家に動物のいなかった時はなかっただろう。自分の家ばかりではな
く、他家の犬、猫もよく来て、母に実によくなついていた。年をとってから
金魚やメダカを飼いだした。メダカが卵を産み、卵がかえって小さなメダカ
が育っていくのを見るのが非常なたのしみであったようだ。自分が丹精して
育てた動物や植物を子供や孫に見せ自慢していた。
 私が昆虫採集を始めたのは小学校の上級になってからである。誰に感化を
受け、指導されたということはない。チョウや甲虫の美しさに魅せられたの
だろう。東京の郊外にあった私の家の周囲には、畑、水田があり、そしてク
ヌギの林があった。春から夏、秋と昆虫が絶えることがなく、採集した昆虫
は標本箱を埋めていった。標本は採集した者にとっては強い印象を残してい
るものである。樹液に引かれて飛んで来た
オオムラサキを捕えた時の興奮は
今でも忘れることができない。
 やがて昆虫を飼育し、野外の生態を観察するようになった。それは昆虫の
本を読むこと、話を聞くことよりはるかに新鮮で魅力にあふれていた。私は
すぐれた先生にめぐまれ、いろいろな教えを受けた。また同学の先輩や同僚
からも教えられ、感化されることが多くあった。しかし、私に対して最も強
い影響力があり、私を導いてくれたのは、人間よりもむしろ昆虫そのもので
あったように思う。それは常に正直であり、ありのままの姿を私の前に示し
てくれた。本当の姿の見えない時は、受け入れる私にその姿を写す鏡がなか
ったのだろう。(以下略)

  一九七〇年三月                 石井象二郎 
 




 

          
              プロローグ

 私は物心ついたときから虫が大好きだった。
 野原を駆け回ってトノサマバッタやキリギリスを追いかけて育ち、小
学校に入ると父が買ってくれた蝶類図鑑の専門書を、授業中も夜寝る時
も読み耽って全て暗記してしまっていた。
 中学の二年間は父の仕事で香港に住んでいた。毎日毎日、亜熱帯の美
しくて多様性に富んだ蝶の採集に明け暮れた。学校に行く前はもちろん、
帰宅してからも一直線に採集道具を持って家を飛び出し、真っ暗になる
まで帰らなかった。
 香港で見た図鑑によれば、ここには「ヘレナキシタアゲハ」という蝶
がいるはずだった。それは「トリバネアゲハ」の一種だ。トリバネアゲ
ハは学名を Ornithoptera (鳥の羽)といい、その名の通り巨大な、黄
金色に輝く美しい翅を持ち、分布の中心はニューギニアにある。世界の
三万種を越す蝶の中の「帝王」と呼ぶに相応しく、美しくて珍しく、そ
して気品を備えている。私は二年間、ヘレナキシタアゲハを探して香港
の野山を歩き回ったが、結局出会えなかった。
「大人になって自分でお金を稼げるようになったら、ニューギニアにト
リバネアゲハを採りに行こう」
 これが、それからの私の「夢」になった。大学に入り、一時期、警備
員などのアルバイトをしてお金を貯めて、フィリピンへ採集旅行に行っ
た。中学以来、七年ぶりに熱帯の蝶が飛ぶ地域に帰って来たのだ。
 当時のフィリピンは、十九世紀にドイツで作られた蝶類図譜しかなく、
未調査の山や島々が多く未知の魅力で一杯だった。
「あの山の上には、誰も見た事がない蝶が飛んでいるに違いない!」
 情熱をかき立てるには十分だった。(以下略)
 




 
 
        
   芽生えたぎもん

 小学校のころ、ぼくはおもしろいことに気がついた。
 その当時、ぼくは東京の渋谷に住んでいたのだが、そのあたりは今と
ちがって空地が多く、チョウもそのほかの昆虫もたくさんいた。クヌギ
の木をまわって歩けば、昼間でも、カブトムシの一ぴきぐらいはとるこ
とができた。どうしても姿を見ることができなかったチョウといえば、

オオムラサキ
ぐらいのものであった。
 日中戦争はすでに始まっており、第二次世界大戦直前の世界は不安に
みちていたが、子どもにとっては、何かたいへんなことがおこりつつあ
ることをときどき感じるだけで、チョウやカブトムシのほうが、よほど
だいじなものであった。
 ぼくの住んでいた家は、今流行のマイ・ホームではなくて借り家であ
ったが、小さな庭がついていた。縁側のところにはいつも一本の捕虫網
と運動ぐつとがおいてあって、夏休みには、たとえ本を読んでいるとき
であろうが、食事中であろうが、庭にチョウがやってくると、阿修羅の
ように、ぼくはとびだしていって、そのチョウをつかまえるのだった。
 庭の大きさはもうよくおぼえていない。とにかく子どもの目にはかな
り広く思えた。けれど、中学四年(そのころ中学は五年まであった)の春、
空襲でその家が焼け、一面の焼け野原の中で庭がどこからどこまであっ
たかを測ってみたとき、じっさいには、ずいぶん狭かったことに気がつ
いた。
 とにかく、その庭は南北にすこし長く、南半分には何本かの木が生え
ていた。北半分つまり家に近いほうのよく日があたる部分には、まねご
とのように野菜を植えていた。庭にはいろいろなチョウがやってきたが、
アゲハチョウやクロアゲハもよく飛んできた。花も何もないので、西ど
なりの家の庭からすっと入ってきたかと思うと、たちまち東どなりの庭
に出ていってしまう。だから、ぼくが阿修羅のようにとびだしていかな
ければ、アゲハをつかまえることはできなかったのだ。
 ふしぎなことに、アゲハチョウはけっして野菜畑の上を横切って飛ぶ
ことがなかった。いつも庭の南半分の、木のあたりを飛んでゆくのであ
る。クロアゲハはその傾向がもっと強かった。そしてこのことは、アゲ
ハチョウやクロアゲハが西どなりの庭から入ってこようが東どなりの庭
のほうから現われようが、ほとんどかわりなかった。ぼくが気づいたお
もしろいことというのは、これであった。チョウの飛ぶ道はきまってい
るのだろうか?
(以下略)






チョウの警鐘 

  60年代の初めだった。天候の変化をコンピューターで再現する実験を
繰り返していたときのことだ。「0・506127」と打ち込むところ
で「0・506」という丸めた数字を使った。すると、打ち出されたグ
ラフは数字を丸めなかったときとは大きく異なっていた。
 4月に亡くなったエドワード・ローレン米マサチュ-セッツ工科大名
誉教授の体験だ。J・グリック著『カオス』(新潮文庫)で紹介されて
いる。
 半端な数を切り捨てるかどうか。それは小さなチョウが舞うか止まる
かの違いに似ている。チョウの羽ばたきが地球規模の気象を左右するこ
ともある。そんな「バタフライ効果」という言葉が広まったのは、この
体験がきっかけだった。
 この効果は、物事が複雑に揺れ動く「カオス」と呼ぶ現象のなかで表
れる。自然界はそんな複雑さに満ちている。
 

         朝日新聞「窓 論説委員室から」 2010/5/20



昆虫愛 




 日本人の「昆虫愛」を映画にした     
               Jessica  Oreck        
               ジェシカ・オーレックさん(25)   

  屈折した昆虫少女だった。緑豊かなルイジアナ州やコロラド州で
 育ち、幼稚園に入る前から大の虫好き。なのに、お気に入りの昆虫
 やヘビの皮を見せると、友だちも先生も露骨に不快な顔をした。
  「虫好きは米国ではすごく肩身が狭い。だれも家で虫なんか飼わ
 ないし、デパートに売り場はない。変わり者扱いされるのが嫌で、
 中学以は昆虫趣味を隠しました」
  日本の昆虫熱を知ったのは2006年暮れ。博物館の講座で「大
 昔からトンボやチョウをめでた国。今でも昆虫をペットとして飼う」
 と知り、脳天がしびれた。そんな夢のような国が地球上にあったん
 だ!
  にわか仕込みの日本知識と大学で習った撮影技法を携えて、07年
 夏、初めて日本を訪ねた。2カ月の間に日光、東京、静岡、大阪、京
 都、兵庫、たつのをめぐった。
  ごく普通の人々がスズムシとキリギリスの羽音の違いを識別でき
 ることに驚嘆し、ホタルを悲恋の象徴と感じる文学性にクラクラし
 た。高級車フェラーリに乗る昆虫業者に頼み込んで採集にも同行し
 た。
  なぜ日本ではこれほど虫が愛されるのか。古事記や源氏物語まで
 調べてたどりついた結論は「もののあはれ」だ。「日本の人々は虫
 たちのはかない生命に美を感じることができる。米国民にはその文
 化がない」
  初監督作品「カブト東京」が米国で上映中だが、客足はさえない。
 日本で上映する方策を探っている。
                 山中季広 写真・坂本真理氏

          朝日新聞「ひと」 2010/6/20





『ブタヤマさんたらブタヤマさん』 

 

絵本作家の長新太さんが亡くなって、きょうで5年になる。「かわいいだけ
の本は子どもへの冒涜」と、読み手の受容力を試すような仕事を残した。正
義や優しさを説くこともなく、作品はオトナの常識を粉砕していく▼〈とお
くのほうから/おとこのこがとんできました〉で始まる『ゴムあたまポンた
ろう』は、ゴムの頭を弾ませて世界を回る少年の話。『ブタヤマさんたらブ
タヤマさん』の主人公は、チョウを追うのに夢中で、背後に迫る巨大な鳥や
魚に気づかない。振り返った時には何もいない。ブタヤマさんの主題は自己
中心的状況だと論じたのは、哲学者の鶴見俊輔さんだ。「胎児からの時間が
あまりない、気配の感覚を十分に持っている子どもには素晴らしい絵本だと
思う。大人にとっては哲学論文▼
 

        朝日新聞「天声人語」  2010/6/25



 
「生きる喜び」 

「フリードルとテレジンの小さな画家たち」というエピソード。来年度から
使用される、小学6年の国語教科書(学校図書)に収録される。
書いたのは、作家・エッセイストの野村路子さん(73)。21年前、チェコの
プラハの博物館で、収容所の子どもたちの描いた絵に出あった。
野村さんによると、テレジン収容所は、ナチスドイツのユダヤ人絶滅計画の
一環として、1941年に建設された。解放までの5年間に約14万4千人
のユダヤ人が収容されたが、10~15歳の子どもも約1万5千人いたという。
生存者は約100人。
1日11時間に及ぶ労働、3段ベッドの1段に3人が寝る住環境。朝はコーヒ
ーという名の茶色い水1杯、昼はスープ1杯、夜はスープとジャガイモ一つ
かパン一切れ……。そんな暮らしの中で、子どもたちは感受性も生きる喜び
も忘れていく。
このままでは子どもがダメになるーー。そう考え、立ち上がったのがフリー
ドル・ディッカーだった。
ディッカーは当時44歳。ドイツの総合美術学校として知られるバウハウス
でも活躍した画家だったが、ユダヤ人狩りにあい、テレジンに収容された。
絵を描くことを禁止されていた収容所で、彼女はひそかに「教室」を開く。
 
 
ドリス・ヴァイゼロヴァー画
(1932年5月12日生まれ、1944年10月4日アウシュビッツへ)
「蝶々になって自由に飛び回りたいという気持ちが表れているのでは」

「初めて絵に出あった翌日、また博物館に行って、絵たちに『日本にいき
ましょうね』と話しかけたのが昨日のことのようです。テレジンの話が教
科書に載り、絵を描くことで生きる喜びを確認した子どもたちのことを知
ってもらえれば」。そう、野村さんは期待する。
 
                           (宮代栄一)

   朝日新聞「ナチス収容所の子らが描いた絵
          命のメッセージ、教科書に」   2010/10/25







2012

【2012年 目撃・採集記録摘要】  


「朝日新聞」朝刊(平成24年2月21日付) 

 

平成24年2月21日 
標本は許可を得て撮影

   
 東京大学赤門  東京大学総合研究博物館本館 
   
  標本箱カバー
(ブータン国の象徴龍の文様入り)
 ブータンシボリアゲハ(♂)標本
貴婦人の名の蝶海をわたり来る 



平成24年7月15日 午前7時 
北区赤羽附近
 
アカボシゴマダラ目撃


   
  自家用車フロントグラス上のアカボシゴマダラ(Y研究員撮影)
   
 埼玉県産(春型)  神奈川県産(秋型?)



平成24年8月30日午後1時03分
乗鞍岳畳平付近花畑(高山植物=イワギキョウ・ミヤマアキノ
キリンソウ・ウサギギク・イワツメクサ・チングルマetc.)
標高2700m台の高層湿原木道にて(N研究員撮影)


 
 
クモマベニヒカゲ
Erebia Iigea takanonisMUTSUMURA 1909 

ベニヒカゲより分布地域は極度に極限され、北海道では大雪山の高地や利尻島から知られるに過ぎない。本州も中部山岳地帯に限られ、八ヶ岳・赤石・木曾・妙高飛騨山系の高地2000m以上の森林地帯に多いが、日光の明かるい花上に高山蝶であるベニヒカゲと和やかに戯れつつ混棲する。

分布〉北海道(利尻島高地・大雪山群・十勝ニペンソ岳)・本州(中部地方の飛騨・木曾・赤石山脈、八ヶ岳・雨飾山・加賀白山の標高約1700m以上の高山帯)に分布する。
生態〉年1回、7月中旬から8月中旬にかけて姿をみせ、成虫は明るい高山の草地に棲息し、飛翔はゆるやかでシシウド・アザミ類・キオン・マルバダケブブキなどの草花で吸蜜する。卵から成虫までに足掛け3年かかり、初年は卵、次年は4齢幼虫で越冬する。






2011

【2011年 目撃・採集記録摘要】 
            以下の摘要中、ナガサキアゲハのように表記した種名
         は、本章でとくに注目している蝶であることを示す。
         その際、地名および分布に関する部分も同様に表記。

4/6
東京都新宿区 ツマキチョウ採集

蝶の発生状況からすると今年の春は例年に
なく遅かった。三月の末になって桜が咲き
始めようやく姿を見かけるようになった。

近くの公園は食草豊富、棲息環境に恵まれ
ている。可憐に飛ぶ光景、都心では貴重。

   ツマキチョウ 
Anthocharis scolymus
BUTLER  
 



5/6

十年来の五月大型連休中の新潟採集旅行で初めてその姿を見た。今年の新潟は
積雪量が多くて、蝶の発生時期は遅れ気味だった。残雪の棚田の行きどまりの
あたりの路傍に飛んでいた。地面すれすれにせわしく飛び回るのですぐに見失
ってしまう。近くの林間には雪割草が群生し、小さな美しい花を開いていた。


コツバメ
Callophrys ferrea BUTLER

 

春の訪れと共に日当りのよい山麓に、チラチラと桜の花びらでも散るかのよう
に飛び出す小形の可憐な蝶で、ツツジのある低山地には広く分布する早春の蝶
である。四国や九州などの温い地方では、3月なかばにはすでに姿を現わし、
山地や、寒地では4月から5月に及ぶ。
 
       
        
分布〉北海道・本州・四国・九州。各地に普遍的に産するが、早春に発生するためか
調査が不充分で、島嶼には記録が少ない。国外では朝鮮半島に分布する。なお、本種は
シベリア~アムールなどに広く分C.frivaldszkyiLEDERERと同種である可能性が強い。

生態〉年1回。春もっとも早く出現するもののひとつで、暖地では3月中旬~下旬、
寒冷地では5月中旬~上旬に姿をみせる。成虫は樹林の周縁に多く棲息し、晴天の正午
前後には♂は突出した枝先などにとまって占有性を示す。午前中の気温の低いときには
太陽に向かって翅を倒し、日光浴をすることがある。ガマズミ・アセビ・アブラナ・キ
ブシ・ダイコンなどの草木の花で吸蜜することも多い。蛹越冬。蛹化は地上の落葉の間
などと考えられるが報告例はない。初夏より翌年春までの10~11か月を蛹ですごす。
 
           
 



5/3 

早春の野山で最初にみかける蝶。小さな青い宝石のような翅には一年の予祝が
こめられている。ここにまた新しい命の季節が始まると告げながら、そこかし
こから飛び出してくる。蝶採集の初心者にとっては気になる遊び相手である。



ルリシジミ
Celastrina argiolus LINNAEUS

 


わが国に産する「しじみちょう」科のものとしては最も普通な小形の蝶で、野にも
山にも街の中にも飛翔し、日本全土に産する親しい蝶の一種である。欧・亜両大陸
の全域に広く分布し、草原の雑草の花、春は桜にも飛来する。飛翔は活発で時には
ゼフ
ルスのごとく梢上高く飛び去るのを見かける。 

分布〉北海道・本州・四国・九州および南西諸島に分布する。奄美大島ではわずか
な採集記録があるが、それ以南では確実な採集記録がない。         
 国外ではアフリカ北部・ヨーロッパから中央アジア・ヒマラヤ・インド北部・カシミール・中国大陸(北・中部)・旧満州・シベリア・アムール・サハリン・南千島・朝鮮半島などにかけてのユーラシア大陸北・中部に広く分布し、北アメリカ沿岸部から中央アメリカ山岳地帯にまでも分布する。台湾にも分布するがきわめてまれな種である。原名亜種はヨーロッパ産をさし、タイプの産地はイギリス。日本産はssp.lad
-onides DE L'ORZAとされる。                   
生態〉年4~6回程度の発生と推定される。暖地では3月上旬、寒冷地では4月中旬よ
り秋まで姿をみせる。暖地では盛夏7~8月に個体数が一時減る。
 




 5/2~6

新潟各地いずれも発生数が少なかった。図版右のギフチョウは
長岡市清里区で蝶の生態を撮影中だったKENZO氏の仕事が済んで
 から採集した。その後氏から編集したばかりのCDを頂戴した。

ギフチョウ  
Luehdorfia japonica L
EECH

  




5/4 

 きまって山頂で遭遇する。そこにはいつも見晴らしのよい空間があり、
冬の陣に敗れた落ち武者というより再興への思いを強く持ちつづける
勇将が占拠。迅速な飛翔と転回、日だまりにおける静止
いずれも絵
 になる。身にまとう緋縅の鎧にふさわしい立ち居振る舞いに感服する。



ヒオドシチョウ
Nymphalis xanthomelas DENIS & SCHIFFERMULLER

 


日本全土に産するが北海道には少ない。年1回発生し、5月下旬から6月上旬成虫の
羽化をみるが、長期の休眠から越冬した雌は翌春四月ごろエノキの小枝に、100個
から時に200個位の卵を塊状に生み付ける。                 

羽化したばかりのものは「緋縅の鎧」のように美しく、しばらく付近に多くの個体
を見かけるが、次第に分散し、夏秋冬と休眠に引き続いて成虫で越冬する。 
 
                     
分布〉北海道・本州・四国・九州に分布するが、他の島嶼には記録がない。
一般に四国・九州の南半部ではまれな種である。            
 国外ではヨーロッパ西部からヒマラヤ・中国大陸・旧満州・ウスリー・アムール
・朝鮮半島・台湾(高地)などに分布し、ヨーロッパ産が原名亜種で、タイプは
オーストリアのウィ―ン。日本産はssp.japonica S
TIDHELとされ、このタイプ産地
は横浜付近?                       

生態〉年1回、5月下旬より6月上旬に羽化する。約1カ月活動して休眠にはいり、
夏から冬は姿をみせず、翌春起眠し、♀は産卵する。夏の休眠状態についての詳細
は不明。成虫は低地~低山地の樹林地帯に多く、寺社の境内・人家の庭・公園など
の食草にもしばしば幼虫の群がみられる。飛翔はやや敏速で、ウツギ・マアザミ・
アブラチャン・アブラナなどの花に吸蜜にくることがある。樹液を好み、クヌギ・
アベマキ・ニレ類・ヤナギ類・クワなどの幹に飛来する。地面で吸水することもよ
く観察される。 
 
                
               



6/6  

   埼玉県越生町 アカボシゴマダラ〈埼玉初採集〉
 神奈川県における採集記録に追加登録。

迷蝶について
横山光夫著『原色日本蝶類図鑑』(昭和29年/保育社刊)の「つまむらさきまだら」の解説文に
「本土に定住するまだら蝶科の蝶は「あさぎまだら」の1種に過ぎないが、
迷蝶として記録された
ものは、本種を加えて5種に達する。」とある〈他の4種は「かばまだら」「すじぐろかばまだら」
「おおかばまだら」「こもんあさぎまだら」を指す〉。

風蝶について
同書「りゅうきゅうむらさき」の解説文にはさらに
「候蝶・迷蝶・偶発蝶として常にその出現の経緯・経過・過程は多くの研究課題として、また興味
ある謎として残されるが、最も主因として想像されるものは、季節台風によって運ばれ、その多く
は時あたかも発生期の好い条件に恵まれたものと考えられる。既に現在わが国に定住している南方
系(1種の例外を残して)幾十種のものも、こうした大自然の力に支配されたものが数多くあるの
ではなかろうか。こうした種のものを仮に「
風蝶」とでも総称したい。」とある。

川副昭人・若林守男共著『全改訂新版 原色日本蝶類図鑑』(1975年/保育社刊)の「アカボシゴ
マダラ
」の解説文に 
「〈分布
奄美諸島の奄美大島と加計呂麻島に分布する。喜界島でも採集記録がある。ほかに徳之
島に記録があるが、これは人為的に幼虫を持ち込んで放したことがわかっている。」とある。


6月6日、好天の昼過ぎ、関東山地の東麓にある埼玉県越生町の大高取山の中腹で見なれぬ飛び方をする
蝶を見かけた。ウスバシロチョウあるいはアゲハチョウかとも思ったがその確信は持てなかった。コミス
ジと制空権を争っていたところを狙ってネットを振ったが取り逃がした。いったい何蝶だったのか……。
迷蝶? 千載一遇の好機を逸したという悔恨の念に襲われた。あきらめて下山しようとした時、ふたたび
樹梢に姿を現した。慎重に距離をみはからって今度はネットインに成功した。しかし、三角紙におさめて
観察しても何蝶なのか不明であった。ともかく初めて見る蝶というほかはない。帰宅して数種の図鑑類に
あたってみたが、すぐに解決することはできなかった。アカボシゴマダラではないかと推測してみても、
裏付となる図版がなかったからである。最後はインターネットを検索、ようやくアカボシゴマダラの春型
で、後翅の赤斑(アカボシ)を欠いているのだということが判明した。近年、神奈川県を中心に定住多産

していることで知られているが、埼玉県にもその棲息範囲を広げていることを確認、複雑な気分になった。
 
アカボシゴマダラ 
Hestina assimilis L
INNAEUS    


 

埼玉県産(春型)


 

神奈川県産(秋型?)



展翅中



6/6

暗い林の中に溶け込むようにして緩慢に飛んでゆく大きな黒い蝶。

大蛍ゆらりゆらりと通りけり    一茶

かすかに南国の香りを振りまきながら、気だるそうに飛んでいる。
二つの蛍が飛び交っていると見えたのは後翅の斑紋……真昼の蛍。

モンキアゲハ
Papilio helenus LINNAEUS




本種は南から北上を続ける代表的な大型で美しい「あげはちょう」の一つ
である。他の南方系の蝶にさきがけて、関東地方にもまれではあるが、北
限は遠く東北の福島県にも達し、日本海側では福井・石川を越えて新潟県
にも現れているが未だ北海道には記録されていない。 
 
         
        
分布本州(東北地方中部にまで記録があるが、土着地は石川県
と茨城県を結ぶ以西と考えられる)・四国・九州より八重山諸島ま
で分布する。寒冷地では数が少なく、八重山諸島でもきわめてまれ
で、土着種ではないものと思われる。                
生態〉本州では通常年2回、成虫は5月中旬より姿をみせる。暖
地の一部では年3回、南西諸島では4~5回の発生と推定される。
低山地~平地の樹木の多い地域に棲息し、山頂に飛来する傾向があ
り、海を渡るものもよくみかける。ツツジ類・トベラ・クサギ・ユ
リ類・ランタナ、ハマオモトなどの花で吸蜜し、夏は湿地でよく吸
水する。 
 
         


6/6

五月六月はツツジの季節。機を合わせてアゲハチョウの仲間が一斉に出現する。
低山地の林道はそこを行き来する蝶たちの習性にしたがって「蝶の道」となる。

アゲハチョウ・キアゲハ・クロアゲハ・オナガアゲハ・モンキアゲハ・ミヤマカ
ラスアゲハそしてカラスアゲハとじつに多彩な顔ぶれで、それぞれ大きさ・色彩
や飛び方に特徴がある。蝶影だけで種名をあてるのも自然観察の楽しみの一つ。


カラスアゲハ
Papilio bianor CRAMER




東南アジアの全域に棲息するこの蝶の、本土内においての分布は、「きあげは」
ときわめて酷似している。北海道の寒冷高地に現われ、沖縄から台湾に及び、亜
熱帯にも棲息するが、温暖な地方や平地には少ない。           

本種はこの種の「あげはちょう」の中で最も華麗な「みやまからすあげは」と、
青緑鱗の美しさも発生の場所や季節も似ているので、両種の判別は時に困難であ
るが、やや顕著な特徴は本種後翅裏面の外縁に添う白帯が現われない。越冬した
蛹は、4月の下旬から5月にかけて、姿の小さい春型として渓間のツツジの花を
好んで訪れ、敏速に飛翔する。
 
                               
分布〉北海道・本州・四国・九州から、沖縄本島周辺を除く南西諸島に
広く分布する。国外ではトンキン・ビルマ北部・中国大陸・旧満州・台湾・朝鮮半島・ウスリー・サハリンに分布し、日本は分布の東限にあたる。原名亜種は中国大陸産で、タイプ産地は広東。
                  
生態〉通常年2回、4月下旬より姿をみせる。北海道や本州の高山地帯
の一部では1回、暖地では3回発生する地域もある。 
 
                  




6/27 
 
化して世に命托すや梅雨の蝶    稲子麿
Kwashite yo ni inochi takusu ya tsuyu no tefu.   Inagomaro

「庭の来訪者」と題し,句友より来葉あり。
この春、深く傷つきし日本の自然なれば、
羽化まもなき蝶、庭に飛来せしを知る歓び
いかばかりならん。生態写真に感動あり。


アゲハ(ナミアゲハ) 
Papilio xuthus L
INNAEUS 

 

                  photo by YOKO Nio 2011




 
8/16  蓼科
蓼科にある岳麓公園の池畔で吸水する数頭のミヤマ
カラスアゲハを発見、昨夏早池峰で採集したものよ
りも美しい個体を得ることができた。
別荘地の奥の林道でアサギマダラも1頭採集したが
天人の五衰さながらの姿態であった。対照的にジャ
ノメチョウには地味ながら新鮮な美しさがあった。

ミヤマカラスアゲハ
Papilio maackii
 MÉNÉTRIÉS 
 




 ジャノメチョウ
Mionis dryas SCOPOLI

東アジアからヨーロッパに広く分布し、わが国でも九州から北海道まで
各地に分布する蝶であるが、特に日本産のもののみ素晴しく大形である
ことは珍しく、低山地帯の叢間に見えかくれつつ、黒い大形のこの蝶の
飛ぶのは何か注意をひく。
 

〈分布〉 北海道・本州・四国・九州(対馬を含む)に分布するが、南西諸島
では未登録。国外ではヨーロッパ中部から中央アジアをへてシベリア・チベッ
ト・中国大陸(南・西部)旧満州・アムール・朝鮮半島などに分布し、原亜種
名はヨーロッパ産で、タイプの産地はユーゴスラビア北西部(Carniola) 。日
本産は分布の東限にあたり、各亜種のなかでもっとも大型で、朝鮮半島と同じssp.bipunctatus M
OTSCHULSKYとされる。
〈生態〉年1回、7月上旬~8月中旬に出現する。成虫は明るい低山地の山麓
や丘陵・堤防などの草地を好み、人の気配には敏感。草上を低く飛び、マツム
シソウ・ハンカイソウ・アザミ類・ヒメトラノオなどの花で吸蜜する。越冬態
は初齢または2齢幼虫。





 
8/17  麦草峠・稲子湯・松原湖


「人間は土地を耕した。蝶はあらゆる原野に分布を広げた。ときおり、
努力の人アダムが雑草を抜いていると、
ヒメアカタテハ、あるいはクジ
ャクチョウ
が、輝く眼と太陽のような眼紋で合図をしながらアダムのそ
ばを飛び過ぎた。立ち上がったアダムは、その蝶をあこがれのまなざし
で見送った。」  
( フリードリッヒ・シュナック著『蝶の生活』)

 現代のアダムは同日に上記2種を採集した。自身初めての記録である。
ほかにもアサギマダラ・キべリタテハ・スミナガシを得た。麦草峠から
稲子湯・松原湖へと移動、八ヶ岳の高原と湖を巡るコースをとることに
より、上々の成果を挙げることができた。
 とくにアサギマダラは前日とはうって変って多くの新鮮な個体を採集
することができた。その中に
 ①極めて小型の個体
 ②翅に採集年月日と採集地をマークした個体
が含まれていたことを報告する。

 小海線松原湖駅下車、バスにて稲子湯へ。これは八ヶ岳登山の代表的
ベースキャンプに至るコースでもある。古い湯船には硫黄分を含んだ炭
酸泉が溢れていた。浴後、好物のアイスクリームを食べ終えたわが助手
は、アサギマダラ①に次ぎ、キべリタテハを採集する殊勲を立てた。





 アサギマダラ
Parantica sita K
OLLAR
 

 ①極小タイプ(上は同地採集の標準タイプ)

 ②標識マークのある裏面

本土に土着する「まだらちょう」科は1属1種で、優美な大型の蝶
である。九州から北海道まで全土に分布するが、南方系のもので本
種のように北部の寒冷地にまで棲息するものはきわめて珍しく他に
あまり例をみない。飛び方は本邦産蝶類中最もゆるやかで、ほとん
ど羽を開いたまま流れるように花上に訪れる。吸蜜しながらぶら下
がっているが、一度捕えそこなうと天上はるかに舞い上がって消え
てしまう。
かつて筆者が支那海の中央を航行中、船上に舞いおりたこの蝶を見
たが、東京や大阪の都心でも度々見受けられて話題となっている。 

〈分布〉北海道・本州・四国・九州・南西諸島に分布する。北海道ではまれ。関東地方
より北の地域でも数は少ない。また、奄美諸島より南でも個体数は多くない。国外では
アフガニスタン・ヒマラヤ・ビルマ・タイ・インドシナ・中国大陸・マレー半島・スマ
トラ・台湾・朝鮮半島にかけて分布し、原亜種名は西ヒマラヤ・カシミール産。日本産
は分布の東・北限にあたり、ssp.niphonica M
OOREとされ、この亜種のタイプ産地は栃木
県日光。
 
〈生態〉多化性。本州中部以北では2~3回。それより南の地域では4~5回の発生と
考えられる。南西諸島では1~2月にも成虫がみられ、さらに発生回数は多いと思われ
る。九州以北では越冬態は幼虫で、幼虫は休眠せず、暖かい日には摂食する。成虫は樹
林周辺に棲息する。春・秋には低地に、夏は高地で数多くみかける。飛翔はゆるやかで、
ネズミモチ、アザミ類、ヒヨドリバナ・オカトラノオなどの花で吸蜜する。





クジャクチョウ
 
Inachis io LINNAEUS

南国の鳥の羽毛に見るひとみのような輪状の紋と、色彩の濃艶な美しさ、
種名ioと言う娘の名に添えて「芸者」と亜種名が付いているのは、どこか
異国情緒をそそる。中部高山のお花畑に飛来し、日当たりの良い高原の路
上に、翅を全開し誇らし気に静止しているが、足元から飛び立って旋回し
敏捷に飛び去って行く。 


〈分布〉北海道・本州(中部地方以北)に分部する。本州では三重・兵庫県、四国では香川県
にも記録があるが、現在のところ分布の南西限は滋賀県伊吹山付近。
国外ではヨーロッパ西部からアムール・旧満州・朝鮮半島・サハリンなどのユーラシア大陸に
分布し、ヨーロッパ産が原亜種名で、タイプ産地はスウェーデン。日本産はssp.geisha S
TICHEL
とされるが、タイプ産地は原記載には記されていない。 

〈生態〉通常年2回、7月と8~9月に出現する。高地・寒冷地では年1回の発生。成虫は樹
林周辺の陽当りのよい草原地帯に棲息し、路傍や岩の上に好んでとまる。マツムシソウ・マル
バダケブキ・アザミ類などの花で吸蜜し、汚物や腐果にも飛来する。越冬態は成虫で、家の軒・
木の洞などで冬を越す。暖かい日には雪上にも姿を現す。越冬後の成虫は翌年6~7月まで生
存する。晩秋気温がさがると平地に移動することがある。






 キべリタテハ
Nymphalis antiopa L
INNAEUS

斑紋の特異な蝶で、生態・習性は「ひおどしちょう」に近似の種である。
低地にも見られるが中部では1,500m位の高地に多く、飛び方は「るりた
ては」「ひおどしちょう」よりもゆるやかで、羽ばたいては流れるよう
に舞って山道の路面・岩石・倒木などに羽を開いて止り、飛び立っては
また同じ場所にもどって来る。樹液・牛糞などに好んで集まり、花には
飛来せぬ。

〈分布〉北海道・本州に分布する。北海道では低地から山地まで広く分布するが、本州では東北地方から中部地方へかけての標高1500m以上の山地に棲息する。近畿地方にはいくつかの採集・目撃情報があり、四国でも報告があるが土着しているとは考えられない。
国外ではヨーロッパ西部からシッキム・ブータン・旧満州・アムール・サハリン・朝鮮半島などのユーラシア大陸北部地域から北米大陸の北部にまで分布し、ヨーロッパ産が原亜種名で、タイプ産地はスェーデン。日本産はssp.asopos
FRUHSTORFERとされる。
〈生態〉年1回、7月下旬~8月中旬に羽化する。成虫で越冬し、翌年6~7月頃まで生きのびる。成虫は本州では亜高山の森林地帯に棲息し、路傍・露岩地・河原などに現れ、湿地で吸水し、汚物・腐果にも飛来する。カエデ類・ミズナラ・コメツガなどの樹液に好んで集まり、まれに花で吸蜜することもある。晩秋、気温が低下すると平地へも現れる。



 
スミナガシ 
Dichorragia nesimachus BOISDUVAL

本土席巻を目指すかのように見える熱帯系蝶の中でも、本種は北海道には
未知だが、九州から既に青森まで達している。紺の匂うサツマガスリのよ
うな翅の模様はいかにも南国的である。羽ばたきは高速で、飛んでいるも
のは種の判定も困難である。平地ではほとんど見掛けず、渓谷沿いの路面
・路上の石・湿地・樹液に好んで飛来する。

〈分布〉本州・四国・九州・南西諸島に分布する。各地とも山地・低地に産するが産地は食卓の関係から局限される。関東地方以北ではまれで、南西諸島でも未記録の島が多い。
 国外ではヒマラヤ周辺・ビルマ・インドシナ・中国山地・台湾・朝鮮半島(南部)・マレー半島・スマトラ・ジャワ・フィリピン・ボルネオ・セレベスに分布し、西北ヒマラヤ・アッサム付近のものが原亜種名である。
〈生態〉年2~3回発生。本州では5~6月に第1化が、7~8月に第2化が現れる。八重山諸島では2月下旬にはやくも姿をみせるが、きわめてまれなために調査が不充分で、詳細は不明である。




 ヒメアカタテハ
Cynthia cardui L
INNAEUS 
(裏面)




9/11・14 
文京・新宿/さいたま

  アカボシゴマダラ 
Hestina assimilis L
INNAEUS 
 
6月 6日 埼玉県越生町で初めて春型を採集して以来、関東地方にお      ける本種の棲息と分布に関心を払ってきた。

○9月11日 文京で採集、新宿で目撃、都内で棲息が定着しつつあるこ      とを確信した。

○9月14日 さいたま市浦和駅前の駐車場付近で目撃、人通りの多い場       所に普通に飛ぶ光景に驚く。見沼で多数目撃、二頭採集。







 ゴマダラチョウ
Hestina japonica C.&R.FELDER
 

喬木の梢上を滑翅するさまは実に軽快で、大空を雁行する戦闘機
のようである。春型は他の蝶類の春型とは異例で夏型よりも逆に
大形で、黒地にやや黄味を帯びた白紋もあざやかである。早期発
生のものは5月末から現われる。小形で純白紋も小さい夏型は7
月から8月に現われる。発生経過は、卵期7日・幼虫期30日・蛹
期約10日を経る。第1化のものは少ないが第2化のものは多数現
われる。日本全土に分布し、暖地性で低山地帯に多く、中部では1,000m以上の高地には認められず、北海道札幌以北には産せず
東北地方にもまれである。

<分布> 北海道・本州・四国・九州に分布する。北海道では札幌市付近より西の地域に分布し、東北地方とともにまれである。南西諸島や伊豆諸島・小笠原諸島には記録がない。
国外ではヒマラヤ・中国大陸(西・南部)・朝鮮半島に分布する。FRUHSTORFERは台湾でもきわめてまれに産すると述べている(ザイツ;インド・オーストラリア地域編)が、その後採集された報告がなく、真偽の程は不明である。日本産は原亜種名で、近隣の朝鮮半島・台湾のものはいずれも別亜種とされている。
<生態>通常年2回。春型は5~6月、夏型は7~8月に姿をみせる。個体数は少ないが、暖地では夏型の斑紋をした第3化が9月~10月に現れる。北海道などの寒冷地では、年1回の発生と考えられる。
成虫は人家周辺の雑木林や食草の自生する竹やぶや寺社の境内に多く棲息し、樹上をゆるやかに旋回するように飛ぶ。クヌギ・カシ・ヤナギ類・イチジク・タブノキ・ニレなどの樹液によく集まり、ときに汚物やバナナ・ブドウなどの腐果にも飛来する。





 ジャコウアゲハ
Atrophaneura alcinos KLUG



その名のように雄は芳香を放ち、雌の翅色は灰褐色、後翅の半月紋は雌雄共
に赤・橙の2種の系統があって、見るからに南国情緒豊かな蝶である。
長い尾状突起を振りながら、そよかぜにのって緩慢に、樹間や路傍の花上を
舞う姿は「山女郎」の名のごとく、絵のような美しさである。近畿地方を中
心として、北は岩手・秋田まで局地的に産するが、青森では採集された記憶
がない。

暖地性の本種は日本海側には少なく、また関東では春型と夏型の2回の発生
のようであるが、近畿では3回、四国・九州では4~5回の発生も認められ
ている。

〈分布〉本州より南西諸島まで分布するが一般に産地は局部的。東北地方ではまれ。
国外では朝鮮半島・中国大陸に分布する。日本産は原亜種名でタイプ産地は長崎付近?
〈生態〉本州中部以北の地域では年2回、4月下旬より出現する。西南部地域では3回
と推定されるが詳細は不明。南西諸島では周年発生している。成虫はゆるやかに飛び、
ヤマツツジ・ウツギ・ノアザミ・トベラなどの花で吸蜜する。南西諸島を除いて越冬態
は蛹で、食草から離れた人家の軒下・納屋・塀・石垣、枯枝や下草に蛹化っしているこ
とが多い。



10/28
「朝日新聞」朝刊第1面(平成23年10月28日付) 

  左の記事を「朝日新聞」朝刊第1面中央に
見いだしたときの歓びは、日本人がオリン
ピックで金メダルを獲得したりノーベル賞
を受賞したりときのニュースなど、まるで
問題にならないほど大きかった。

更に二日後の30日夜9時「NHKスペシャル」
で現地調査の全容がテレビ放映されるに及
んで興奮は絶頂に達した。


8月中旬の調査行。インド・中国と国境を
接するヒマラヤの高地タシヤンツェ渓谷に
到達するまで秘境と呼ぶにふさわしい景観
が連続する。たえず湧きだす深い霧に閉ざ
された山腹に、ついに80年前の英国探検家
も寄ったであろう山里が現れる。

民家の一室を基地に、最近目撃した環境保
護局の青年の証言をもとに、いよいよ幻の
ブータンシボリアゲハの探索が始まった。

ドキュメンタリーの導入から秘境に棲息す
る幻の蝶への期待は増幅されるばかりであ
る。が、事実は意外というほかはない。
 
人間が奥地に暮らしの場をもとめ密林を拓
くことによって出来た空地、陽光のあたる
木々、それらをおおって茂るウマノスズク
サ…。この蔓草を食草として幻の蝶は生き
続けてきたのだ。山里の人々の生活との共
生、このありふれた環境が幻の蝶の生態系
を守っていたのだった。


民家の道端で若い女性が織っていた伝統的
な布には、めでたいことを表すという蝶の
素朴なデザインが入っていた。








 


 2010
 
 【2010年 目撃・採集記録摘要】
   
        ※
以下の摘要中、ナガサキアゲハのように表記した種名
         は、本章でとくに注目している蝶であることを示す。
         その際、地名および分布に関する部分も同様に表記。


4/6 
山梨県○○峠 ギフチョウ未だ発生せず

三月以来、今年最初に行こうと決めていた場所であった。
ほかにひとり同好の士も東京からやってきた。周辺の情報
を交換したが絶望的であった。「天は我を見捨てたり」。


春はギフチョウ。

里にソメイヨシノが咲くころ、早緑にうっすらとけぶりは
じめた山あいの疎林に、黄と黒のダンダラ模様に朱と青の
斑紋をちりばめた「春の舞姫」がひそかに舞いはじめる。
ギフチョウを目にした瞬間こそ春! 毎年そう思うのだ。



東京は晴れていたが現地の天候は曇りがち。姿一つ見えな
い。初採集の夢破れ、食草のカンアオイのみ撮影すること
にした。人里に近い山林の環境が食草の生育に影響する。





4/13
 奈良県葛城山 ギフチョウ目撃

ギフチョウが舞う山と聞くだけでえもいわれぬ親しみを感ずる。
さながら歌枕のように口をついて出てくる日本各地の山々の名。
そこに飛ぶ妖精の姿を想像するだけで胸が苦しくなる気がする。
しかし、予備知識のない初めての山で出会うことは奇跡に近い。



画面は葛城山塊。左奥が山頂、右肩に小さく電波塔が立つ。
この稜線一帯に吸蜜植物であるカタクリの群生地があった。
自然研究路になっていて、ギフチョウが観察できるという。



4/21 
東京都新宿区 ツマキチョウ採集

近くの公園は春になると花に吸蜜にくる
蝶でにぎわう。アゲハやシロチョウの仲
間が多い。ツマキチョウの飛び方は遠目
にもよくわかる。翅裏の模様も美しい。

   図版 左♂ 右♀

ツマキチョウ 
Anthocharis scolymus
BUTLER 

   


早春の山麓地帯・山添いの菜の花畑・路傍にも現われる可憐な
蝶で、他の「しろちょう」に混って飛翔するが、型はやや小さ
く、波うたず水平に飛ぶために、雄は前翅の美しい橙黄色紋が
見分けられる。普通種ではあるが初心者には発生期の早い関係
から見逃されがちである。
 

分布〉北海道・本州・四国・九州・屋久島に分布する。国外で
は中国大陸・旧満州・朝鮮半島など東アジア地域に分布し、日本
は分布の東限にあたり、原名亜種に属する。
生態〉年1回、通常3月下旬から、4月上旬に姿をみせる。北
海道や高山地帯では6月に出現する。本州中部地域の高山地帯で
は、クモマツマキチョウと混棲する地域があり、発生は本種のほ
うがやや早く、数も多い。成虫は陽当たりのよい山麓や林縁、畑
地の周辺などに多く、飛び方はゆるやかで、ダイコン・アブラナ・
タンポポ・スミレ類・クサイチゴなどの花に吸蜜にくる。
蛹越冬。
 

 参考 


クモマツマキチョウ
Anthocharis cardamines LINNAEUS

図版は飼育品
左♂ 右♀
 

   

魅力的な蝶の令嬢クモマツマキチョウ
(シュナック著『蝶の生活』)
 


 
4/25 
新潟県弥彦山 他 ギフチョウ採集 

 弥彦山は葛城山と同じように万葉集に詠まれた名山である。
画面は越国一宮弥彦神社本殿と弥彦山。神社の背後に登山
路が伸びている。毎春、神社での開山式のあと、地元市民
は待ちかねたようにしてグループ登山を楽しんでいる。山
頂まで登れば背後に日本海が広がる。春は霞がかかるので
 運が良くないと無理であるが、佐渡島を望むことができる。




ギフチョウはこの山頂から山麓にかけて広く豊かに棲息する。
歌僧良寛が隠棲した国上山もほど近い。そのかみ春の日に子供
らと手毬つきつつ遊ぶ良寛のかたわらにも舞っていたにちがい
ない。「麓」という地名があり、その一角にある別荘の老紳士
(おそらく八十代とお見受けする)は、毎年いつもネットを持
って待ち構えている。庭先に飛んでくるというのだ。午後にな
るとギフチョウは高く速く飛ぶ。採集は難しそうなのだが…。





 5/1
 新潟県松之山町/上越市京ヶ岳 他
 ギフチョウ採集


新潟県は最も豊かにギフチョウが分布する土地である。
どこまでも田園地帯が広がり、その外縁に理想的な里山
が多い。山林の手入れがよく食草のコシノカンアオイの
生育条件が整っているからである。戦国大名上杉謙信支
配下の山城跡が県内各地に点在、周辺自然と共に厚く保
護されている点も注目に値する。越後美人に越後の酒。
新潟を賞讃する声は高い。更にギフチョウを加えたい。
ここで顔を合わせる県外からの同好の士もある。本格的
な研究家にも会ったことがある。東京ナンバーの車で走
っていると向こうから声が。見れば京都ナンバー!…。
        
左が♂ 右が♀


ギフチョウ  
Luehdorfia japonica L
EECH 

   

 
日本の特産種で、早春4月、桜の開花と共に出現する
春の舞姫のように美しい蝶である。
無風晴天の日を好んで食草のある疎林から散りゆく花
びらのように舞いだし、スミレ・レンゲソウなど路傍
の花に訪れる。
 

分布〉日本特産種。本州のみに分布し、北限は秋田県
由利郡、表日本の東限は東京都多摩丘陵、西限は山口県
萩市付近、南限は山口県光市付近。
生態〉年1回。暖地では3月中旬、一般には4月上・
中旬、寒冷地では5・6月に発生し、平地ではその土地
のソメイヨシノの開花期とほぼ一致する。成虫はカタク
リ・スミレ類などの花に吸蜜にくる。
蛹越冬、地表近くの草や低木の茎で蛹化することが多い。
 




5/14 
埼玉県越生町麦原 ウスバシロチョウ〈埼玉初採集〉
わが東京・神奈川・群馬での採集記録に追加登録。
 
ウスバシロチョウ(ウスバアゲハ)
Parnassius (Tadumia glacialis)BUTLER 

 

氷河時代の遺物といわれるこの蝶は、北海道では平地に、
南に進むにしたがって高地に棲息する。四国にも発生する
が、九州では採集された記録がない。
谿谷地帯の温暖な草原や日当りのよい疎林に「もんしろ
ちょう」にもにて、フワフワとかるく滑翔し、路傍の花に
翅を開いたまま静止するので、採集は極めて容易である。
 

分布〉北海道・本州・四国に分布する。北海道では西南部に
その勢力が強い。本州では各地に分布するが関東・近畿地方の
一部、四国では香川県に記録がない。
生態〉年1回発生。暖地では4月下旬~5月上旬。寒冷地で
は6月下旬~7月中旬に姿をみせる。平地よりもやや山間部に
棲息することが多く、林縁の田畑や川原によく現れ、ネギ・ム
ラサキケマン・ニガイチゴ・スミレ類などの花で吸蜜する。
卵越冬。
 




7/25 
東京都文京区 ナガサキアゲハ♀採集

過去に都内で目撃したことはあったが、採集したのは初。
ナガサキのかたきをエドで取ったような気分だ。地球温暖
 化による北上種の象徴的存在
♀は巨大で優美、既に土着。
 
ナガサキアゲハ 
Papilio memnon
L
INNAEUS 

 

本邦に棲息する多くの蝶は次第に北上する傾向が認められ、
特に南方亜熱帯系のものが日本に侵入し、迷蝶として発見さ
れ、時には食草にありついて一時に偶発的な発生をするもの
もあり、あるものは完全に帰化して日本産の蝶として土着す
るものもある。その過程となる動機なり要因は、船舶や台風
によって運ばれるものや、ある種のものはその習性や自力に
よって、幸運にも日本に翔着し得たものと想像される。
「あげはちょう」の中では特に「みかどあげは」「
ながさき
あげは
」がその最も顕著な一例と想像される。本種を初めて
採集せられ、命名されたのは有名な生物学者シーボルト博士
であって、和名は「長崎」において最初の記録されたものに
よる。
  

分布本州(中国地方各県、和歌山・兵庫・京都・大阪などの
府県)
・四国・九州より西南諸島へかけて分布する。山陰地方東
部・大阪・京都などの採集記録は迷蝶と考えられるが、近年本種
は分布を北へ広げる傾向が認められ、淡路島や和歌山県南部のも
のなどは土着が確認されている。八重山諸島ではきわめて少ない。
生態〉年3回、4月下旬より姿をみせる。九州南部では3~5
回の発生と推定され沖縄以南では1月にも成虫がみられる。成虫
は食草の関係もあって人家の周辺に多く棲息し、ゆるやかに飛び、
ブッソウゲ・ランタナ・ツツジ類・ユリ類・ネムノキなどの花で
吸蜜する。♂は地面で吸水することがある。
九州以北では通常蛹越冬。奄美大島などでは幼虫・蛹で越冬する。
蛹は食草の枝、付近の塀や軒下でみられる。
  



 
8/1 
岩手県早池峰 ミヤマカラスアゲハ♂採集 

美しい森林の国の申し子。日本各地の渓谷地帯に
棲息する大型美麗なアゲハ。かつて群馬の山奥で
林道を飛ぶ本種を追走中に転倒して負傷した
。 
急な下り坂道でリュックがひどく揺れ、登山靴が
 が加速、地上から我が身が分離してしまったのだ。


  ブタヤマさんは
  チョウを とるのに
  むちゅうです
 

『ブタヤマさんたらブタヤマさん』の主人公は、
チョウを追うのに夢中で、背後に迫る巨大な鳥や
魚に気づかない。振り返った時には何もいない。
 
              (「天声人語」) 


 ミヤマカラスアゲハ 
Papilio maackii
 MÉNÉTRIÉS 

 

わが国に産するパピリオ属の中で最も優美な蝶の一種
である。

山地性の蝶であるが北海道では多く低地にも棲息し本
州山岳地帯より南に進むに従って数を減ずる。
東京では高尾山に採集されるが、大阪では近郊の山地
には産せず、京都の大悲山や奥吉野・大台ヶ原などの
高地に産する。
 
 
分布〉北海道・本州・四国・九州(対馬・種子島・屋久
島を含む)に分布する。
生態〉通常年2回、4月頃より姿をみせる。九州南部な
どの暖地では3回発生で、近畿地方の山間部でも年によっ
て8月下旬に一部3化発生した個体をみかけることがある。
一般に出現期はカラスアゲハに比べ1週間程度本種のほう
が早い。成虫は北海道から九州北・中部では山地の森林に
多く棲息しているが、対馬や九州南部・種子島・屋久島な
どでは平地や海岸に多い。飛び方はゆるやかで、♂は渓流
ぞいの道や尾根を占有する習性があり、湿地で群をなして
吸水に集まることもよく観察される。アザミ・ツツジの類・
ウツギ・トベラなど多くの花で吸蜜する。
蛹越冬。蛹は食草の枝や枯葉、塀や軒下でみつかり、越冬
蛹は緑色のものよりも淡赤褐色のものが多い。
 



 
8/10 

東京都文京区 アゲハ 

今年は記録破りの猛暑。その影響か、アゲハチョウ
の数が非常に多い。しかも例年になく大型化してい
る。柑橘類の樹木を食樹としている。花屋の店頭の
カラタチの鉢が丸坊主になっているのを見たことが
ある。飼育用の鉢を買う場合、幼虫の食慾に注意。

 アゲハ(ナミアゲハ) 
Papilio xuthus L
INNAEUS 

 

日本各地の平野・山麓部・市街地に最も普通な「あげは」
で、北海道の北部・東部では、ややまれであるが、支那・
満州・朝鮮などアジア全土に広く分布している。
 


分布〉北海道から南西諸島まで、島々を含めた各地に広く分布
する。
生態〉年5~6回の発生。暖地では3月下旬より、寒冷地では
5月中旬より姿をみせる。成虫は平地・低山地に多く、人家の庭
などに植えられたミカン類によく発生し、トベラ・ツツジ類・ダ
イコン・ヤブガラシ・コスモス・トウワタ・ブッソウゲなどの花
に吸蜜にくる。
蛹越冬。越冬蛹は食樹を離れ、他の樹木の枝や塀・軒下などに付
着することが多く、色彩も他の季節のものと異なり、暗灰色~灰
褐色で、緑色のものはみられない。
 



 
8/31 
東京都高尾山

オオムラサキ〈東京初目撃〉モンキアゲハ/スミナガシ目撃 

 高尾山頂で昼食をとっていたとき、オオムラサキが現れた。
国蝶にふさわしい大型で美しい容姿。頂上の制空権を主張
する力強い飛翔に威厳があふれていた。やがて樹上の葉に
羽を休めたのち、姿を消した。その樹の下にはオニヤンマ
水平飛型で登山路の一定の距離を粛然と往復していた。

図版は飼育品♂


オオムラサキ 
Sasakia charonda H
EWITSON 

 

日本産の蝶を代表する「国蝶」として世評にのぼって昆虫界
の話題をにぎわしたわが国名蝶の一として名実ともに誇りう
るものである。小鳥ほどもある形の巨大さ(雌においては特
に大形)斜に輝きを発する紫の幻色光の豪華な美しさ(特に
雄において)、梢上はるかに滑翔する姿はひとしお壮観でも
ある。
 

分布〉北海道・本州・四国・九州に分布する。1957年秋、国蝶
に指定されている。北海道では札幌周辺のみに分布するが、採集
記録は小樽市などにもある。九州では宮崎県小林市以北の地域に
みられ、それ以南では記録がない。ほかの島嶼には確実な記録が
ない。
生態〉年1回。北海道や高地・寒冷地では7月上~中旬、暖地
では6月中~下旬に姿をみせる。成虫は人家近くの雑木林に多く
棲息し、クヌギ・クワ・ニレなどの樹液やクリ・クサギなどの花
で吸汁・吸蜜する。イチジクなどの腐果や汚物・糞尿に飛来する
こともある。飛翔は敏速で、梢上高くを旋回し、枝先に翅をひら
いてとまる。♂は夕方に強い活動性を示し、梢上を占有し、占有
領域にはいった蝶、ときに小鳥までも追飛する。
越冬態は4齢幼虫(ときに3齢または5齢)で、晩秋、体色が黄
緑色からしだいに茶褐色に変わり、幹を伝って地上におり、落葉
の裏で冬を越す。

 
樹液に引かれて飛んで来たオオムラサキを捕え
た時の興奮は今でも忘れることができない。

  (石井象二郎著『昆虫学への招待』) 


 
8/31 
東京都文京区 オオミズアオ 撮影

わが研究室員が文京区内のマンションの玄関ホールの壁面に静止して
いるところを発見、携帯電話のカメラで撮影した。昆虫の分類では蝶
と同じ鱗翅目に属するが、本種は蛾である。大型のアゲハ類に似て尾
状突起を有し、蝶にまさる美麗な容姿を誇る。文京区は都心にありな
 がら緑に恵まれている。近くの神田川の桜並木で発生したと推定する。

 

 


 
9/9 
東京都文京区 ムラサキツバメ♂採集

夕方五時頃、郵便局の帰り道、暗くなりかけた歩道の上に止まったのを
発見した。郵便局の小さな紙封筒に息を入れて膨らませて接近して上か
らかぶせて採集した。最近都内にも棲息するようになっているという情
報は知っていたが遭遇したのは初めてであった。油断大敵。常在戦場。
近年関東地方に北上してきている話題の蝶、数種のうちの一種である。

 ムラサキツバメ 
Narathura bazalus
H
EWITSON 

 

九州・四国の全土に産し、本州では山口・広島から記録される
が、大阪付近では未だ発見されない。京都では貴船・桃山御陵
の珍しい記録があるが、
中部以東には産せぬものと思われる
九州・四国の暖地では各所に多く、闊葉樹の梢上を旋回し活溌
に飛翔するが花上にも訪れる。
 
 
分布本州(近畿地方以西)・四国・九州(対馬を含む)・南
西諸島に分布する。南西諸島では種子島・屋久島・トカラ宝島・
喜界島・奄美大島・沖縄本島・石垣島・西表島・与那国島に記録
がある。国外ではネパール・ブータン・アッサム・ビルマ・イン
ドシナ・中国大陸南部・台湾・マレー半島・スマトラ・ジャワに
分布し、マレー半島~ジャワ産が原名亜種。日本のものは分布の
北・東限にあたり、ssp. turbata B
UTLERとされる。
生態〉多化性。南九州では年4回、一部では5回。近畿地方で
は6月中旬に姿をみせる。常緑樹林に棲息し、昼よりも夕方に活
動する。越冬前には強い訪花性を示し、ソバ・ハマボウフウなど
にくる。越冬は集団で行い、その数は100頭をこえることもあ
る。越冬中でも暖かい日には活動し、温度がさがるとふたたび集
まる。近畿地方のものは御陵社寺の境内に発生し、他地域から樹
木とともに移入されたと推察される場合が多い。
 


 
9/22 
島根県出雲市 ヒメアカタテハ採集

日御碕燈台の夕暮れ時、日本海から吹き上げる風に乗って
忽然として出現したのはヒメアカタテハであった。夕陽に
照らされた絶壁上のわずかな草地の周辺を軽快に飛翔して
 テリトリーを支配していた。採集は巌流島の決闘さながら。



ときおり、努力の人アダムが雑草を抜いていると、
ヒメアカタテハ、あるいはクジャクチョウが、輝く
眼と太陽のような眼紋で合図をしながらアダムのそ
ばを飛び過ぎた。
                      
(シュナック著『蝶の生活』)
 

 
ヒメアカタテハ
Cynthia cardui L
INNAEUS  

 

本種は全世界を征し、世界いずれの国にも分布し、おび
ただしい大群をなしアフリカから遠く地中海を渡ってヨ
ーロッパに移動する情景は、驚異的な壮観として多くの
文献絵画に示されているのは、あまりにも有名である。
日本では多くは成虫越冬するものと思われるが、英国で
は越冬できず5~6月ごろ大陸から飛来して繁殖するとい
われる。

分布〉北海道・本州・四国・九州・南西諸島に分布する。世界
的には次種アカタテハよりはるかに分布域は広いが、日本では南
西諸島の一部や礼文島などで未記録で、全国的にみて個体数は多
くない。分布の広い種(汎世界種、cosmopolitan species)の代
表とされるが、オーストラリア・ニュージーランドには分布せず
オーストラリア地域には、C.kersyawi Mc Coy が棲息する。日本
産は原名亜種に所属し、タイプ産地はスウェーデン。     
生態〉多化性。第1化は5月中旬~6月上旬に出現し、4~5
回発生と推定される。成虫は田畑の周辺、人家の庭・堤防・土手
などに棲息し、敏速に飛翔し、人の気配に敏感である。ヒメジョ
オン・ノコンギク・コスモス・アザミ類などの花で吸蜜する。 
越冬態はふつう成虫。南西諸島では各齢の幼虫、成虫で越冬する。寒冷地では越冬できず、冬の訪れとともに死滅するものと考えら
れている。                        
 



9/24 
 広島県尾道市  ヒメアカタテハ採集

尾道の千光寺に参詣した。そこで「文学のこみち」の石碑の上を旋廻して
いたのはまたしてもヒメアカタテハ。♂二頭が目にもとまらぬ速度で激し
い空中戦を展開していた。日本の秋、低山の頂に覇を争ういつもの光景




9/26 
 

倉敷美観街の水路端の植え込みに飛来したところを撮影した。
きわめて活発に飛ぶ。吸蜜中が好機であるが、接近すると気配
を感じ、すぐ飛び離れる。生態写真のポイントは触覚と眼にピ
ントを合わせること。しかし可憐できまぐれなモデルはポーズ
に応じない。翅裏のウラナミ紋様が確認できれば合格とする。

 
ウラナミシジミ
Lampides boeticus L
INNAEUS 

 

この蝶の越冬態と越冬場所については決定的な研究がなく、
昆虫界の話題になっている。暖地では早春、裏面の波状斑紋
が乱れ、後翅肛角部の橙色班の減退した冬型(春型)が稀に
えられる。 
 


分布〉北海道・本州・四国・九州・南西諸島に分布。ほとんど
の島嶼にも記録がある。土着地は、房総半島中部と紀伊半島南部
を結ぶ線のほとんど霜のおりない地域で(年平均最低気温が12°C
以上の地域)、温暖な年にはこれより北でも越冬するが、ふつう
は気温の上昇とともにしだいに分布域を北に広げ、冬の訪れとと
もに死滅するようなことを毎年くりかえしていると推察される。
国外ではアフリカ北部・ヨーロッパ(中・南部)から、アジア南
部の地域・南太平洋の島国をへてオーストラリアやハワイ諸島ま
で分布している。
生態〉多化性。本州西南部の土着地域では6~7回発生し、冬
季でも卵~成虫の姿がみられ、定まった越冬態はない。八重山諸
島ではさらに数回発生数が多いものと思われるが、調べられたこ
とはない。成虫はおもにマメ科植物の栽培されている畑の周辺に
多く棲息し、栽培マメ科植物を食害する害虫とされる。飛び方は
敏速で、すぐにはとまらない。ツルニガナ・キツネノマゴ・栽培
マメ科植物などの花で吸蜜する。
                
   




10/2 
神奈川県逗子市 アカボシゴマダラ採集

わが研究室員が湘南海岸で訪れた家の庭に落ちていた熟柿に
飛来した見なれぬ蝶を採集したという。携帯電話で報告を受
けたが判然としなかった。じつはアカボシゴマダラだったの
である。想定外の事態だった。なぜ想定外としたかの理由は、
二つの図鑑の記述から理解できるだろう。こうした現実の背
景に何があるか、なお想像をめぐらしてよく考えて欲しい。

 

アカボシゴマダラ 
Hestina assimilis L
INNAEUS 

 

(横山光男著『原色日本蝶類図鑑』1954)に記載なし 
 
分布奄美諸島の奄美大島と加計呂麻島に分布する。
喜界島でも採集記録がある。
ほかに徳之島に記録がある
が、これは人為的に幼虫を持ち込んで放したことがわか
っている。国外では中国大陸・旧満州・チベット・朝鮮
半島・台湾に分布し、日本産にはssp.
shiraku SHIROZU
の名が与えられている。原名亜種は中国大陸より朝鮮半
島までの地域のものをさし、タイプ産地は中国大陸南部
の広東である。 
生態〉年5~6回の発生と考えられるが詳細は調べら
れていない。3月下旬より11月中旬まで姿がみられる。
成虫は海岸近くの人家周辺、ことに寺社の境内・墓地な
どの食草の多いところに個体数もたくさんみられる。飛
翔はゆるやかであるが、梢上高くを飛び、地面近くには
あまりおりてこない。♂は朝と夕とに占有性を示し、梢
上で翅をひらいて占有する。まれにホルトノキなどで吸
蜜することもあるが、樹液に飛来したものは観察されて
いない。
越冬態は3齢幼虫で、越冬幼虫は葉上や枝の分岐部に静
止している。越冬幼虫の体色は緑色、茶褐色の2型があ
る。

食草〉クワノハエノキ(ニレ科)。飼育する場合、エ
ノキ・エゾエノを与えると順調に発育しない場合がある。



 
10/7 
埼玉県所沢市航空公園  モンキチョウ採集

航空公園は飛行場跡地にできたことに由来する。広大な
敷地はよく整備され、市民の憩いの場所になっている。
退役した航空自衛隊の飛行機も展示されている。考えて
みると、トンボにはかなわないが、チョウもいわば生き
た飛行機だ。というより羽根のある生き物にヒントを得
て、つくられたのが飛行機である。好天の午後、大小さ
まざな昆虫が飛び交う、虫たちの航空公園でもあった。

左が♂ 右が♀


モンキチョウ 
Colias(Colias)erate E
SPER 

   

春から秋にかけて「もんしろちょう」と共に日本全土に最も普通な
蝶で、「おつねんちょう」の別名もあるが成虫越冬は誤りで、この
名は抹殺されるべきである。
雄は黄、雌は乳白のものが多く、黄色の雌もまれではなく、黒化・
白化の異常型も、現れる。 

分布〉北海道・本州・四国・九州・南西諸島。国外ではヨーロッ
パ東部よりインド・ヒマラヤ・中国大陸・台湾・旧満州・朝鮮半島
・サハリンなどに広く分布し、日本のものはサハリン・中国大陸と
同じ亜種(ssp.poliographus M
OTSHULSKY)とされる。原亜種名はヨー
ロッパ~中央アジア産で、タイプ産地は南ロシアのサレプタ。
生態〉多化性。北海道や東北地方などの寒冷地では年3回程度、
本州西南部・四国などでは5~6回、九州では5~7回の発生と推
定される。成虫は田畑の周辺、牧場・堤防などに好んで棲息し、飛
び方は敏速でアザミ類・ヒメジョオン・レンゲ・ミヤコグサ・シロ
ツメクサ・クララなどの花で吸蜜する。
本州では中齢幼虫で越冬するが、九州南部や南西諸島では冬でも成
虫や卵もみられる。
  
 




 
10/7  
埼玉県所沢市航空公園  ツマグロヒョウモン採集 

最近しばしば報道される地球温暖化現象の事例とされる
北上種。さきごろ訪れた倉敷の大原美術館の庭にも飛ん
でいたが、温暖の地での光景でさほど不自然ではない。

注目すべき点は現在、寒冷地のどこまで土着に成功して
いるかである。今夏の記録破りの猛暑がさらにその棲息
分布を広げることにつながるのか、各地の目撃・採集記
録の分析が必要とされてくるだろう。貴重な生物指標。
参考文献の蝶類図鑑を見るまでもなく試みに手許の電子
辞書で引いてみると、「幼虫はスミレ類を食べる。本州
西南部以南の草原や台地に多く見られる。」(『精選版
日本国語大辞典』)とある。寒冷地に住み、庭にスミレ
を植えている人々の蝶の観察報告がカギを握っている

      
左が♂ 右が♀


ツマグロヒョウモン 
Argyreus hyperbius L
INNAEUS 

   

日本に産する17種の「ひょうもんちょう」で北緯30度以南に
まで分布するものは、本種の他に「みどりひょうもん」の只一種
が台湾の高地に記録されるに過ぎない。同類はいずれも年1回の
発生にとどまるが、本種のみはきわめて多化性の蝶で、九州・四
国のような暖地では年4~5回、早期発生のものは4月より現れ
る。近畿でも紀州海辺部では晩期のものほど個体数を増し、10
~11月コスモスの花に飛来する。
雌雄の相違はきわめて明らかで「ツマの黒い豹紋蝶」は雌の翅紋
によって名づけられる通りである。
 

分布〉本州・四国・九州・南西諸島に分布し、土着の北限は本州
南西部と考えられる。
土着地より、気温の上昇にともなって北へ向
かって分布域を広げ、晩夏から初秋には東北地方北部、年によって
は北海道南西部にまで現れるが、気温の低下とともに死滅する。国
外ではアフリカ北東部(エチオピア)からパキスタン・インド・ヒ
マラヤ・ビルマ・ジャワ・バリまでの広い地域とオーストラリア東
部に分布する。パキスタンから中国大陸・朝鮮半島・日本までの地
域のものが原名亜種とされ、タイプ産地は中国大陸の広東。
生態〉多化性。発生回数についてはよくわかっていない。
四国・
九州などの土着限界地域
では第1化が4月下旬で、11月中旬まで
成虫の姿がみられる。越冬態は九州以北ではおもに幼虫。奄美大島
などでは幼虫・蛹で、沖縄諸島以南では周年成虫の姿がみられる。
成虫はおもに田畑の周辺・人家の庭・荒地などによく姿をみせ、飛
翔はゆるやかで、ネズミモチ・オカトラノオ・アザミ類・ランタナ・
トウワタ・キバナコスモスなどの花で吸蜜する。
 

 


 
10/17 
神奈川県逗子市 ゴマダラチョウ・ヒメジャノメ拾得 

      
            ゴマダラチョウ

例の優秀なわが研究室員が、前回の湘南海岸の成果に発奮し、さら
に意欲的に観察をしているうちに、おそらくある種の蝶のなきがら
であるという確信のもと、路傍で拾得してきた。捕虫網を持ってい
なかったことがわかる。頭部・胸部・腹部という本体全体がほぼ壊
滅しているのでもはや到底、展翅して標本とすることはできない。
成虫となってわずかな期間(たいていはおよそ一週間程度、種によ
って異なる)、空を自由に飛び回っていた蝶も、やがて自然の摂理
にしたがって静かに地上に落下、このような姿となり果てる。もし
われわれが拾得していなかったらどうなっていただろう。「生命の
 連鎖」の自然界の仕組みを考察する機会が与えられたのかもしれぬ。

  
      土   
          三好達治

    蟻が
    蝶の羽をひいて行く
    ああ
    ヨットのやうだ


     * * * * * * * * * * * * *

            ヒメジャノメ


最初、蛾ではないかと疑ったらしい。念のため拾得したという報告
であった。蛾は地味な色彩できれいではない、という偏見があるこ
とは承知している。蝶も蛾も昆虫学からすれば、同じ麟翅目に属す
 る仲間である。あのヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』では、
蛾(クジャクヤママユ)の美しい眼紋が主人公の心を魅了している
ことを思い出す。前出の『蝶の生活』にも、多くの蛾が登場する。
チョウとガの見分け方の最大のポイントは触角の形状である。チョ
ウはバット状になっている。すなわち先端が太く丸まっている。ガ
は「蛾眉」のことばがあるように先端がすうっと細くなっている。
ただし図版は不明瞭で、2種ともに触角の形状から識別できない。

 
ゴマダラチョウ
Hestina japonica C.& R.F
ELDER  

 

ヒメジャノメ
Mycalesis gotama MOORE  

 



 2010年10月ホームページ公開以降の目撃・採集記録摘要

 
11/3
東京都文京区 キチョウ・アカタテハ採集
ヤマトシジミ観察・撮影〔1〕

 おだやかに晴れた午前、散歩をかね附近の公園に採集と観察に出か
 け、上掲2種を採集。他に目撃したのはヤマトシジミ・ウラナミシ
 ジミ・キタテハ。取り逃がしたキタテハに再挑戦と午後に同じ場所
 に行ったが、すでに気温が低くなっていたせいか姿を見せず。樹齢
 四百年の銀杏の樹下の陽だまりが好ポイント。野良猫の昼寝場所。


イヌタデ(アカマンマ)
に吸蜜するヤマトシジミ
 
 
キチョウ
Eurema (Terias)hecabe Linnaeus



わが国では近郊の野原・山林・市街地にも見られる熱帯系の蝶
で、東北には少なく北海道には産しない。成虫で越冬し、冬季
でも温暖な日には姿を現わす。前翅黒縁のあざやかな夏型を前
後に春秋型の黒縁は減じ或は消失する。雄の翅色は濃く、雌は
淡い。なお前翅を透してみると、雄には翅の基部に近く不透明
な部分があるが雌にはない。

〈分布〉本州・四国・九州・南西諸島。本州東北地方北部ではまれ。
北海道では西南部に採集記録がある。国外ではアフリカ大陸北部より、インド・ヒマラヤ・中国大陸・台湾・朝鮮半島南部・インドシナ・マレー半島をへてフィリピン・ボルネオ・セレベス・スマトラ・ジャワ・ニューギニア・オーストラリア(北・東部)へかけての広い地域に分布する。日本のものは分布の北限にあたり、別亜種ssp.mandarina DEL'OR -ZA)とされる。

〈生態〉
多化性。発生回数については確実な観察記録はないが、年5~6回の発生と推定される。
成虫越冬。


アカタテハ

Vanessa indica HERBST 



東洋の特産種で、競翔・追跡など、礫のような飛び方は、
勇壮であり軽快でもある。美しいあけぼののような紅の翅
色からヨーロッパ及び北アフリカに産する本種の近似種
Vaenessa atlanta Linnneは「レッド-アドミラル」ともよ
ばれ、「あかたては」と見事な棲分けを見る。
 

〈分布〉北海道・本州・四国・九州・南西諸島に分布する。国外では
カシミール・インド・ヒマラヤ・セイロン・ビルマ・インドシナ・中
国大陸・台湾・シベリア・旧満州・サハリン・朝鮮半島・フィリピン
(ルソン島)とFIELD(1971)によれば遠く離れたアフリカ北西岸の
カナリア・マデイラ両諸島やイベリア半島(西・南部沿岸地域)に別亜
種ssp.vulcania G
ODARTが分布するとされる。インド南部、セイロン山
岳地域、セレベス産もそれぞれ別亜種で日本産を含め他の広い地域の
ものが原名亜種。タイプの産地はインド。
〈生態〉多化性。くわしい発生回数など不明。暖地では5月中旬より
寒冷地でも6月下旬に出現。成虫は田畑の周辺、平地の樹林周辺に棲
息し、飛翔は活発で、人の気配に敏感で近寄れない。
越冬する成虫は家の軒や板塀、石の間などで冬を過ごす。九州以南の
地域では成虫のほか、各齢の幼虫や蛹でも越冬するが、気温の低い年
には成虫以外は生存できず死滅する場合が多いといわれる。 





11/5
群馬県高山村 キタテハ・ツマグロヒョウモン・ベニシジミ採集

  毎年訪れる高山村は日本ロマンチック街道のほぼ中間地点にある。
県立ぐんま天文台や多くの温泉やゴルフ場が点在する標高500m台
 の高原だ。映像はお気に入りの展望台から眺めた山麓の牧場風景。


 
 
キタテハ

Polygonia c・aureum LINNAEUS



河畔・堤防・山麓の草原などに最も普通な「たてはちょう」の
一種で、市街地に飛来することも珍しくない。 
日本全土に産するが北海道では南部に限って見られ、中部山岳
地帯においても標高1000mを越えない。
9月から11月にかけて発生する秋型は、この種乾燥期特有の
翅型と色彩の変化を示し、翅型もきわめて凹凸が著しく、翅表
の地色は赤味を帯び裏面は濃い褐色を現わす。種名に示すよう
に「C字型の金色」の後翅裏の紋と共に「しーたては」との混
同は初心者を惑わすが、この区別は、本種には翅裏面に「暗緑
色紋」が現れない。

〈分布〉北海道(西南部)・本州・四国・九州(対馬を含む)に分布
する。奄美大島や沖縄本島にも記録があるが、国外ではインド~日本
産が亜種亜名で、タイプの産地は中国大陸の広東。
〈生態〉多化性。暖地では5月中旬~11月上旬までのあいだ4~5回
発生をくりかえし、晩秋、最後の世代のものが成虫越冬する。寒冷地
では3~4回の発生と推定され、高地・寒冷地では8月下旬、平地で
は9月中旬に現れるものから秋型となる。


ベニシジミ
Lycaena phlaeas LINNAEUS

野辺の花に飛来し朱紅色の美しい翅を半開しては葉上に静止し
花上に戯れる。路傍にも山麓の叢にも春は4月から晩秋11月ま
で、日本全土の山野に広く可憐な姿を見かける。      
春型のものは朱紅色があざやかで、6月に現われる夏型から次
第に高温期に発生するものは暗化し、特に雄は黒一色に近いも
のさえ認められるが、秋季にはいって現われるものはまた次第
に春型に近い朱紅色を呈する。
 
             
         
〈分布〉北海道・本州・四国・九州(対馬を含む)。九州以東の地
域では島嶼にも分布するが、南西諸島には確実な記録はない。国外
ではヨーロッパのほぼ全域・アフリカ北部より中国大陸・シベリア
をへて旧満州・朝鮮半島へかけてのユーラシア大陸の広い地域と北
米大陸の東部とに分布し、日本のものはssp. daimo SEITZとされる。
タイプの山地はˮ日本ˮとあるのみで詳細不明。
 
〈生態〉暖地では3月上旬より発生し5~6回、寒冷地では4月にはいって姿をみせ、4~5回の発生回数と考えられるがよく調べられて
いない。                            幼虫越冬。越冬幼虫の齢数は一定せず、いろいろな段階のものがみら
れる。幼虫は秋期気温がさがると食草をおり、地上の落葉の間や石の
下などで冬を越す
。  
                                     




 11/8
東京都文京区 ヤマトシジミ観察・撮影〔2〕

11/3に引き続き同じ場所でヤマトシジミを撮影した。吸蜜植物
は上からイヌタデ・アカカタバミ・カタバミの3種である。
各写真中の雌雄の区別は下の解説を読めば容易に可能であろう。

自宅に空いた植木鉢があればそこに土だけ入れておく。知らぬ間
にカタバミが芽をだし、葉を茂らせる。ヤマトシジミが飛来して
産卵する。小さなハート型の葉に食痕が認められる。葉裏に幼虫
や蛹を探しだすスリルを楽しみつつ羽化の日のその瞬間を待つ。
宿題でアゲハの飼育をするような手間と世話は一切無用である。
ヤマトシジミ
Pseudozizeeria maha K
OLLAR


春秋好天の日は忘れることなく庭の一隅に飛来して、草花を訪れる
やさしい蝶の一つである。4~5月から路傍いたるところの叢に現
われ、秋もおそくまで姿を見かける。春及び秋に現われるものは、
①翅表の外縁黒帯は細く、雌は時に翅表に紫色鱗を生じ、②裏面は
灰色で雌雄共黒い色紋は不鮮明(japonica型)、③夏の高温期の雄
の黒帯は巾広く、雌の翅表は常に黒色で紫色鱗を欠き裏面は白色で
黒い色紋は鮮明(argia型)。暖地性の蝶で東北でも南部平地に産し、
青森にも北海道にも棲息しないが、関東以南には各地に普通。幼虫
はカタバミを食べ食草の葉裏又は地上で蛹となる。発生は年4~6
回にも及ぶ。  
 

〈分布〉本州・四国・九州・南西諸島。分布北限は岩手県田野畑村付近とされており、青森県からは確実な記録がない。一般に平地性の蝶で、山地では個体数が少ない。国外ではパキスタン・カシミール・インド・ビルマ・インドシナ・中国大陸(中・南部)・チベット南部・朝鮮半島南部・台湾などに分布し、タイプの山地はヒマラヤ。
〈生態〉本州の山地・寒冷地では終齢幼虫で越冬、九州南部などでは各齢の幼虫で越冬する。南西諸島では周年発生している。本州では4月下旬から出現し、年5~6回の発生と推定される。 

     
     
     
     
     

ヤマトシジミ 
Corbicula japonica
各地の川口に棲息する大和蜆
は主に味噌汁用の食材となる
和名は同じ いずれが先輩?


 
11/12 
東京都文京区 アカタテハ観察・撮影

小春日和の陽気に姿を現した蝶たちを目撃。アカタテハ・キタテハ・ウ
ラギンシジミ・ヤマトシジミ・キチョウ・モンシロチョウが冬の到来を
前に活発に活動していた。いつもの観察地への道すがらにある陽当たり
のよい住宅の生垣は、サザンカの花盛りだった。飛来したアカタテハが
花芯に口吻を伸ばし蜜を吸い始めた。警戒心がないので撮影は容易だ。

 
 
 



 
11/23 
東京都文京区 モンシロチョウ・ウラナミシジミ・ウラギンシジミ採集

前日からの雨が早朝まで降っていた。雨があがると青空が広がり、珍しく汗ばむような気温になった。この時期の蝶は、俳句の世界では「冬の蝶」と詠まれるのがふさわしい(蝶を見ずして「小春日和」の季題を選ぶむきがあっても無論異存はない)。一概に「冬の蝶」というが実態はさまざまである。この日、他に目撃したのはキチョウ、ヤマトシジミ・ムラサキツバメであった。キタテハ・アカタテハなどのタテハ類は姿を見せなかった。もはやアゲハ類を目にすることは翌春まであるまい。 



モンシロチョウ
Pieris(Artogeia)rapae LINNAEUS


最も親しい蝶として、わが国のあらゆる平原山野に棲息し、広くはア
ジア・ヨーロッパ・北アメリカの三大陸にも分布し、早春から初冬ま
で庭の一隅にも訪れる。関西でも温暖な年は既に1月に飛翔するもの
さえ見受けられるが、本土内においての周期的な発生状態は、鹿児島
・高知などの南国の暖地には2月の初旬にその姿を認め、関西におい
て3月、北海道の寒冷地では5月にも及び、発生期のずれを生じる。
 

〈分布〉日本のほぼ全土に分布している。八重山諸島には近年まで分布して
いなかった。国外でも世界各地に広く分布し、北アメリカ・オーストラリア
など、従来棲息していなかった地域にも侵入し、分布を広げている。日本の
ものはssp.crucivora B
OISDUVALとされ、中国大陸など近隣のものssp.orient
-alis
F
IXEN)とは別亜種とされる。ヨーロッパ・北アメリカ産が原名亜種
で、タイプ産地はスウェーデン。
〈生態〉通常年6~7回発生、2~3月より現れる。北海道などの寒冷地
では2回、八重山諸島では1月にも成虫がみられる。耕作地域に好んで棲息
し、多くの花で吸蜜し、ことに紫色系の花を好む。早春にはジンチョウゲの
花で吸蜜するものまで観察されている。九州北部以東では蛹越冬。暖地では
中齢以降の幼虫で越冬する。農薬にも強い抵抗力をもち、園芸害虫として有
名な種である。
 

      


ウラナミシジミ
Lampides boeticus LINNAEUS 

9/26 
 《岡山県倉敷市  ウラナミシジミ撮影》の項、参照のこと



ウラギンシジミ
Curetis acuta MOORE

 

本種は熱帯系の蝶で南から次第に北上した一種と思われ、朝鮮と
日本はその北限にあたる。「しじみちょう」科の他種とはやや異
なり、湿地・牛馬の糞尿・汚物・腐果などにも好んで群がり、樹
蔭の枝を這って※虫の液をなめているものなども見受ける。雌雄
の翅型・翅色を異にし、雄は紅褐色、雌は白色、
裏面は一様に銀
白色で、特に秋型の翅端は尖る。
越冬したものは2~3月の好天
気にはすでに活動するものを見られるが、第1化の夏型は6月か
ら8月まで多く、9月には夏型がしばらく秋型と混飛する。第3
化の雌は白くあざやかな翅色を輝かし、形も大きく翅端が尖って
特に秋型の特徴を現わし、この期に最も多産する。
 
    

〈分布〉本州・四国・九州・南西諸島。本州北部や高地・寒冷地ではま
れで、ふつうにみられるのは関東地方以西の地域。国外ではアッサム(
ナガ丘陵)・北ビルマ・中国大陸(西~南部)・台湾・朝鮮半島南部な
どに分布し、原名亜種は中国大陸産。
 
〈生態〉通常年2回、5~11月に出現。暖地では3回、南西諸島では4
回以上と推定される。成虫は平地・低山地の渓流ぞいの地域に棲息し、
飛翔は敏速。動物の死体や汚物、腐果で吸汁し、湿地で吸水する。
越冬
態は成虫で、常緑樹の葉裏で冬を越す。
 




ウラギンシジミ(秋型)
「冬の蝶」という季題がある。
左の生態写真、昆虫学の見地からも「冬の蝶」に最もふさわしい構図の一つ(これは「凍蝶」だ、とする傾向や定義は余りにも文芸的!)。
発見した瞬間はおもわず胸の動悸が高まった。翅裏の銀白色と秋型特有の尖った翅端が、葉蔭にあっても明瞭にみとめられる。

実際は十一月下旬なので、晩秋をあらわす季題「冬ちかし」の句を「冬の蝶」の前段階とし、合わせて作句した。
         (2010 /11 /23 撮影)
      
   椿山荘にて

 冬ちかし蝶にやさしき木賃宿
 生きてなほ化石のごとし冬の蝶  
                 堅香子

                                         


 
11/27

埼玉県日高市巾着田 ベニシジミ・ヤマトシジミ 観察・撮影

午前中、越生町での蝶影は皆無であった。午後、日高市に移動して高麗
川の鹿台橋まで来たとき、初めて白い蝶らしきものが飛ぶのを見たがそ
れは小蛾であった。橋から巾着田へ出てしばらくすると日当たりのよい
畦道でヤマトシジミを見いだした。ついでベニシジミ……。畦道一帯に
環境に見合った個体数を確認したが、飛ぶものは稀、吸蜜する姿もほと
んど見かけなかった。冴え冴えとした星の夜が明け、一面にきらきらと
 真っ白な霜が輝く朝、これら可憐な蝶たちはもはや微動もしないだろう。

11/8 東京都文京区 ヤマトシジミ観察・撮影〔2〕》の際は活発に
に飛び回るので撮影にかなり苦労した。今回は張合いがないほど余裕の
撮影ができた。結果として小さな各被写体たちにピントが合ってきた。




高麗郷の象徴的存在 日和田山

山頂から眺めると蛇行した高麗川添いの田の形は
 さながら巾着のように見える。巾着田の名の由来。

 

奥武蔵秋景 巾着田 

かつて春は一面のレンゲ畑であったが、農業形態の
変化にともなって、最近は秋満目のマンジュシャゲ
風景で脚光を浴びている。都心にほど近い観光地。
  


 
 
アメリカセンダングサの
残り花に吸蜜するヤマトシジミ
 
アゼガヤツリの草に同化したか
のようなヤマトシジミ
 
アゼガヤツリの枯草に翅を休めるベニシジミ2態


   巾着田にて 
 霜枯やよき畔ありて蝶の飛ぶ

 枯草に枯草いろの蝶とまる
 冬草や蝶のいのちの果つる朝
 
                堅香子





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